夫婦で働くこと・生活すること

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ラオスの布と伝統を守る事について

素材、編み方などは今までちょっとは意識していたけど、

最初からどのようなものが、誰によって形にされるという

のは正直あまり意識したことはないのかもしれません。

無印良品とかによく置いてあるオーガニックのものの

写真やイメージ図をみてはよく「天然素材で作られた」とか、

他店でも「ハンドメイド」という表示を見るけれど、

なんだかんだ日本に出回っているものの大半は工場で作られた

工業製品だし、イメージだけで見せられても、

なんとなく実感がわかなかった、というのが率直な意見です。

 

今回、ラオスに来ていくつか布が実際に作られる現場を見ました。

そこにいる人々は蚕や綿を育て、繭やコットンから作った糸を

葉っぱ、花などの素材で染め、カラフルになった糸を

編み機で一段一段手で編んでいくのです。

模様があると模様の一部一部に編み込む作業を加えたり、

糸をセッティングしたり。一段編むのにも数分かかります。

それは、とても手間がかかるけれど、全く機械の力を借りない、

マニュアル作業と知恵でできた技術です。

 

よく日本で強調される「環境にやさしい」「エコ」とかありますよね。

たしかにそのような言葉にも当てはまるのですが、

ブランドイメージや社会問題に対してどう働きかけよう、

といった固い考えではなく、ラオスで見た作り手の人々は、

今までやってきたこをただやり続けているだけ、といった具合でした。

いいと思っているからみんなに知って欲しい。買って欲しい。

そして、だからそれをやり続ける。

そんな感じがしました。

伝統的な歴史と、長い時間をかけて開発された技術を感じます。

 

でも、伝統的な技術を持っている人がいるからといって、

その人がお金持ちになれるとは限りません。

伝統的な技術を持っている村は布を作っているだけでは

食べられなくなり、村がつぶれることもあるそうです。

大量生産ができるようになった今、布の価値は下がってきているのです。

 

一枚の布を作るのには多くの時間と手間がかかります。

細かいよれ具合やハンドメイドによる個人個人の差が一枚の布に

反映されるようなものは味があっていいという人がいる一方、

言ってしまえば布の機能としては大して変わらない機械製品が100倍も早く作れて、

売られている価格も何倍も安かったとしたら、機械で作られたものを

買う市場もなんだかうなずけます。

発展途上国なら人件費はさほど反映されませんが、日本のような国になると

人件費が跳ね上がり、いわゆる職人が作った品物というのは

とても高価なものになっています。

高価なものになれば人もあまり買わなくなり、作る人も生活できなくなります。

 

伝統的な技術や作り手の生活を守るためには、

今まで生活用品として使っていたものの用途を変更することかもしれません。

例えば、芸術品として取り上る、ということが一つ。

芸術品までいってしまえば何万という値はつきます。

芸術以外になにか…というのは、私たちは、答えがまだ見つかっていません。

上手く、伝統的な技術と近代的な技術を融合させた形でなにか魅力的なものが

作れればいいのですが。

そしてそのような答えがあれば、是非取り組みたいとも思っています。

 

しかし、伝統的な技術や作り手の生活を守る方法がなければ、

破滅の道しかないのか、と考えたとき。

もしかしたら、それが、答えなのかもしれません。

長い歴史で見れば廃れていくもの、生き残っていくもの。

人間は常に変化をし続けてきました。

伝統がなくなる、とは、悲しい事ではなく、自然な流れなのかもしれません。

一旦廃れてしまったとしても、また必要なときに人間が再度この

技術を発見できるようになっているのかもしれません。

というのは個人的な意見です。

 

伝統を守るためのすばらしい活動をしている人がいる

一方で、それらを結果的につぶしてしまう都市開発や経済活動に

取り組んでいる人もいます。

どちらも現代社会には必要な人たちです。

でも、共存する中に、矛盾があります。

解釈、見解、行動。

人や立場によって様々ですが、大事なのは、伝統を尊重し、

技術を持っている人やそれを生活の糧にしている人がいることを

知って気に留めておく事なのかもしれません。