夫婦で働くこと・生活すること

働くこと・生活すること・夫婦ブログ

ものってストレス

久しぶりの投稿。

ブログはあまり書いていないけれど、

ふとした瞬間なにかを書く土台があるのは、ありがたいこと。

 

今日、「ものってストレス」というのを思い出したので、

書き留めようと思ったのです。

なぜなら、自分のお店が、もので溢れはじめたからだ。

理由は単純。

仕入れをしすぎた。

色々と注文をして、どんどん商品が入荷してくるのだが、

今日の今日まであまり自覚はなかった。

でも、冷静になって自分のお店を見てみると、

色々と店頭に並べ過ぎではないか、と反省した日であったのだ。

 

そう思えたのも、たまたま今日西荻窪の町をプラプラする機会があって。

色んなお店に入った。

魅力的なお店。

ちょっと微妙に思っちゃったお店。

なにか買いたくなるお店。

あんまりお財布が開かないお店。

 

程よく商品が整列されたお店は、とても魅力的に感じることができた。

商品一つ一つをゆっくり見る事ができたし、置いてあるものと対話もできる。

「程よく」というのがポイントなのかもしれない。

物が多いとtoo muchな感じ。

少なすぎると何を見ていいかわからない感じ。

商品が少なくて高いと、すごく良いお店だけれど、あまり買いたくない感じ。

物が多くて安いと、ちょっとしたものは買いたくなるけれど、

高い物がチープに見える感じ。

 

色んなお店をみた。

自分のお店についても考えた。

そして、改めて自分のお店に入ると、率直な意見がでた。

「物が多い。」

このお店しか町にないなら別だが、

色んなお店がある中で立ち寄るお店だとしたら、

少し疲れちゃうお店にはなるまいか。

そして、良いものでも、雑多においてあるがために、見過ごしちゃうのではないか。

そう思った。

 

「生活にきっかけを与える場」「主婦の駄菓子屋」の2つが、

今設けているコンセプトだ。

駄菓子屋というのは気軽に来れる、雑な感じなのだが、

ゆっくり生活についても考える場であって欲しい。

 

そのためには、もう少し、物を整列させて、ジャンル分けして。

使用用途を想像させるようなポップを沿えたいな。

そう思った。

新年

2014年になった。

新しい年を迎えた。

去年は色々あった。

会社辞めて、結婚して、会社つくって。

住む場所も3度変えた。

工務店の方では色んな人との出会いや別れがあり。

お店は少しだけ認知度を広げることができた。

お店はバッグの工房から小さいライフスタイルショップへ。

小さいライフスタイルショップから2倍の大きさへ

規模を広げて、中規模なライフタイルショップになった。

タイとラオスにも行った。

ライフスタイルというキーワードを自分自身に問うことをはじめた年だった。

今年はショップの2階でカフェとアートギャラリーもスタートする。

どういう年にしましょうか。

会社や、工務店や、お店や、お家やら。

5年後の移動販売計画

ゆーたむと話していた。

例えば、移動販売の車を買って。

日本中を旅するの。

旅の先々で地域の特産品を買って。

各地域の工場や職人を訪れて。

次に行く土地でそれを売る。

ブログで毎日の様子を書き綴る。

そんなことができたら、素敵だなぁ。

5年後に目標を決めたっ。

その頃にはお店のこととか事業のこととか、

落ち着いていることだろう。

昔の仲間と将来を話す

昔の仲間と将来を話す、というのはすごく勉強にも刺激にもなる。

さらに、いいことだと思うのは、いま、久しぶりに会って、昔のことを懐かしむとか、いまの愚痴をただ言うだけじゃない。

いま必死に生きていて、これから将来どうしていきたいという話しをしているということ。

価値を見出す

小さい頃、ピアノを8年間やってたけれど、クラシックを弾いてもただ鍵盤を押すゲームみたいなものだと思ってた。

本音を言うと、大して音楽に興味がなかったのかもしれない。 そこからロックを聞くようになって。音楽が好きになって。今、改めてクラシックを聴くと、この旋律が単純に凄いって思った。 最近そう。今まで大して興味がなかったけれど、素材、成り立ち、そのものがなんなのか。どうやって作られてるのか。なんでその値段なのか。

大分気になるようになりました。 ここまで話すと、「うん、それは年をとった証拠だね。いいものを求めるようになるんだよ。」と言われたけれど。 私のお母さんは今だに1000円アンダーの服を求めライフの婦人服コーナーを御用達。 色々ある中て何に価値を見出すか。人生もいろいろですねっ。

ものをつくること

ものをつくること。

単純に楽しそうって思えばだれでもやっていいことなはず。

でも、それを消費しよう、人に消費させようと思うと難しいこと。

それがたとえ道楽でも、今の自分にお金をかけて何かつくってみよう、と一歩踏み出す勇気がイマイチないのは、生活に十分な余裕がないからなのかも。

ましてや、どういうものを作りたいかをはっきりいうことができない。

ここまでいくと、今の自分にはなにもないので、諦めるか、という思考に一瞬なるけど。

ちょっとまって。

最初にいったように、ものをつくること。単純に楽しそうって思えばだれでもやっていいことなはず。

そこが原点なのであれば、もうちょっと考えてみよう。

スティーブジョブズ

2013年11月1日。

日本で公開されたスティーブジョブズを観に行った。

今、日本ではほとんどみんながスマートフォンを手にする時代となったが、

そのきっかけとなったiPhoneを世の中に広めた、

今は亡きスティーブジョブズのことを描いた映画だ。

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見終わった後、映画の感想としては、「平坦」だった。

別に悪い映画、というわけではないけれど、ドラマ仕立てにされた、

事実と思われる事柄を並べた映画という印象だ。

役者を使ったドキュメンタリーを見ているような気分だった。

この映画とよく比較されているのはfacebookの創立を描いた「Social Network」だが、

こちらの方が、いつのまにかストーリーにのめり込んでしまうような感覚

だったのを覚えている。

おそらく、「平坦」といった感想が芽生えたのは、

この映画が色々と盛り込みすぎだったのかもしれない。

恋愛面、信念を突き通す性格、理不尽なところ、

人に冷徹なところ、人から裏切られるような場面、

ものづくりへ純粋なところ、昔の友情等々・・・。

一つのテーマが深いが、全てをあつかったがために

一つ一つの要素が薄くなってしまった、という感じがした。

そもそも、20年以上の歳月を追うには

2時間半という映画の時間が少なすぎだったのかも。

とはいえ、あのipod, iphoneの創始者スティーブジョブズ

大学時代から2001年のiPod発明の時期まで、

どのように人生を歩んで来たかという波瀾万丈な様子が描かれている。

アップルという小さい会社をつくり、自分で創立した会社を首になり、

すごく悔しい想いをしながら過ごしているさなか、

アップルの業績が低迷した時にまた戻ってこないかと声をかけられて戻り、

それ以降はスティーブが代表となり、アップルの業績をまた戻して行く。

まるで、フィクションのようなこの話は、実際にスティーブジョブズという一人の人間が

歩んで来た人生であり、非常にインスピレーショナルで、学ぶ事も多かった。

予算を気にせずにただ純粋に自分が世の中に影響を与えたいと言うものを突き通す天才。

赤字になろうとも、マーケティングの専門家に保守的な策をいわれようとも、

投資家に逆風のことをいわれようとも、なぜか大丈夫という自信をもってつきすすむのだ。

今まで世の中にでまわっていないものを世に広めるということは、

反感も食らうし、最初は「何言ってるの、この人?」的な反応や目を

されながらも、「分からない人は必要ない。」ときっぱりと切り捨てる感じは

さすが、と思わせられる部分があった。

例え今までお世話になった人であろうと、今まですごいと言われて来たエンジニアであろうと、

お金を持って来た人であろうといってしまうのだから唖然とする。

それだけ自分のやっていることに夢中であるということなのだろう。

ただ、天才と言われている人でも苦しみは多い。

人から裏切られたり、嫌われたりもする。

それでも、彼のアイデアや製品の魅力が、周囲の人々を魅了する。

そんなスティーブジョブズという人物のことが、垣間みれる映画だった。

同時に、自分に置き換えてみると、小さな企業を作り始めた今。

きっと、ジョブズのようなアグレッシブさ、周りを巻き込んで行ったり、

本当に良いと思ったものにのめりこんだり、

お金を投資することをいとわない、ということをもっともっとして、

覚悟をつくっていかないといけないな、と振り返る時間を与えてくれた気がする。

サイクルモード

サイクルモード@幕張メッセにきました。

BMXという競技を見て、自転車の試乗もできるなんていう、ちょっとフィジカルなイベントでもあるのです。

 

早くうちのロードバイクも組み立てないとなー。

ラオスとタイから帰国して思ったこと

ラオスとタイからの旅を終えて、一つ気がついたのは、

ものの作られる過程や、それがどういう意味があるか

というのを意識するようになり、

もの自体への興味が以前より強くなったということ。

日本はたしかにクオリティが高いものが揃っている。

やはり、タイやラオスで作られたものの精度をみると、

日本がさすがだなって思うものも多かった。

でも、私のように一般の人から見ると、

日本にあるひとつひとつのものがあまりに性能がよく

作られる過程が複雑化されているがために、

単純に面白いとか、やりたいとか思う以前に、

なんだか難しいものに感じてしまったり、

到底自分には関係のないことと思ってしまっていたことに気づかされた。

だから、生活の一部として行うような料理でさえも、

既に何グラムの何を入れると出来上がったレシピをみたり。

文字に頼ってばかりの毎日。

その料理本やインターネットのレシピはまたよくできていて、

手順通り決まった材料を入れれば

間違いようがないし、それなりの料理はできるのだ。

しかし、なんで今その素材を入れたのだということは意識もせず、

なにかを入れるという意義を見失っていた気がする。

このままでは料理が上手く成っているというよりは、

辞書引きが上手く成っているということにすぎなかったのだ。

当然辞書に頼ってばかりの毎日では、根本的に料理が上手くなるはずもない。

なにかを作るために成長するには、その中で醍醐味を見いだすことではないか。

醍醐味というのは、一つの作業をなぜやるのかという

原点を知る事で見つけることができるのではないか。

そして、創意工夫ができたり、自分なりのアレンジや発展が楽しめる。

ふと、砂糖を紅茶にに入れる時の事を思い出した。

砂糖を紅茶に入れる。

とても単純なことだけれど、自分なりの甘さをみつけ、

糖分や甘いということを考える立派な作業である。

自分はこのくらいが好きだな、とか。

あの飲み物はこんなに入っているな、とか。

あの人だったらこのくらいが好みかな、とか。

考えていたり、実際に自分でやってみると楽しい。

上手く行かなかったりすると、なんでなのか、と考える。

そして、それもまた楽しいのだ。

料理やものをつくるというはそれの延長のようなもの。

なのに、なぜ日本にいる時はその楽しさを表面的なことでしか捉えられなかったのだろう。

おそらく、どこから手をつけていいのかわからない、

というのがあったかなのかもしれない。

周りに出回っている料理やものはあまりに完璧すぎて。

学ぶにも手法が多すぎて。

なにをどうすればいいのかがわからなくなっていたのかもしれない。

基本と言っても基本の手順も多く、楽しむことをそがれるような感じがして。

面白さを見いだせなかったからかもしれない。

タイとラオスでは、精度こそ高くないけれど、素朴な素材で精一杯工夫し、

楽しく物作りをしている様子に刺激を受けることがてきた。

そこには、複雑な話はない。

単純な方程式によって組み込まれた手法しかなかった。

そして、単純な方程式によって行われる作業は、

いちいちなにかを読んで確認するような回りくどいことはしない。

時に人にきくかもしれないけれど、基本がわかればあとは感覚で動き、

失敗の中で覚えて成長していく作業を繰り返しているように思えた。

ある意味、限られた条件の中のほうが気づく事が多いことを学んだ。

ラオスと料理教室

ルアンパバーンラオスの料理教室に参加しました。

ラオスの食事は日本みたいに下味をつける物が多く、

日本人の口にとても合うとよく言われています。

実際、ラオスでは食事で「まずい。これはちょっと…」

という食事にであった事がありません。

チャレンジングな料理の中には虫を使ったものもあるようですが…

普段食事する屋台やレストランでは見た事がありません。

 

料理教室では食材をどこで購入し、どうやって調理するかという教室でした。

私たちが参加したのはTamarind という、ラオスにある料理教室です。

ラオスのもこみちなのではないか、と連想させられる若い男性が

手際よく、冗談を交えながら英語で教えてくれます。

トゥクトゥクがホテルまで迎えにきてくれて、食材の勉強を市場でした後、

ちょっとトゥクトゥクを走らせ、森の中にある隠れ家リゾート的場所で調理をします。

緑に囲まれたその空間の真ん中にはテラスがあって、

包丁を走らせる調理スペースと食事ができるダイニングスペースとがありました。

入って右手には蓮の花が咲いている池が広がり、左手にはもう一つ池。

池の手前ではハーブを自家栽培していました。

立地はとても心休まる空間でした。最高です。

 

食材の購入場所ははまず、市場です。こちらをまず見学しました。

ここはいわゆる地元の人向けの購入場所です。

ラオスルアンパバーンでは日本みたいにスーパーも八百屋はありません。

ひろーい敷地に、それぞれがフリーマーケットのように、

床やちょっとした土台に野菜、肉、お菓子などをずらーっと並べています。

それが、果てしなく続く感じです。

驚いたのは、香草の多さ。葉っぱがいっぱい。緑がいっぱい。

見た事の無いハーブががたくさん。

日本で若干なじみのあるものではディル、レモングラスコリアンダー

があるかと思いますが、ラオスでは料理に欠かせない素材です。

意外だったのは、タイみたいにパクチーはあまり使われていない事です。

 

さて、今回、料理教室で作ったのは5つのメニュー。

①カオニャオ(餅米)

②魚をバナナの葉で巻いた蒸し物

レモングラスに閉じ込めたチキンの練り物

④ラープ(肉と香草の炒め物)

⑤紫の餅米+フルーツのデザート

 

ガスも電気もないため、火は炭火でおこして作ります。

蒸しものはお湯の上に竹で作った籠、その中に具を入れて蒸すような感じ。

まな板は丸太から作っています。

身近なものから道具、料理を作ることを教わりました。

ラオスの自転車と村と紙

ルアンパバーンの中心部は整備された道路と観光客向けの風景が広がります。

カフェがたくさんあって、お寺があって、旅行会社も多くあります。

でも、中心からちょっといくと、山がいくつかあり、山にはいくつかの村があるのです。

村は観光客にオープンなので、ぷらっといっても大丈夫なのです。

 

そんな情報を聞いたので、私たちは一日400,000KIPのマウンテンバイクを借りて

Xangkhong Villageという、テキスタイルと紙で有名な村を訪れました。

山を下り、橋を渡り、川を渡り、山を登るとたどり着きました。

 

中心地から離れると道路ががたがたになり、バイクが多く、砂埃もすごいです。

でも、色んな人がいて、人間観察をするにはもってこいです。

わいわいして下校する学生服の女子。

小さい男の子が自転車を乗り回している姿。

家を工事している人。

建材をリアカーで運ぶ人。

アイスクリーム販売のバイクを乗る人。

トゥクトゥクを乗る人。

道ばたでのんびりしている犬、猫、鶏。

 

私たちが訪れた村はアスファルトの大通りから、

赤い砂や小石のぼこぼこ小道を入ることから始まりました。

坂がたくさん。そして、凹凸もたくさん。

タイヤの太いマウンテンバイクでなければ、自転車走行は厳しいことだったでしょう。

 

道の悪い道路を走り、竹でできた民家やゲートのある豪華なお家を

数件とおりすぎた後、お店が連なる一本道にでました。

テキスタイルと紙が有名な村ということもあり、

道を歩いていると、次々にお店があり、店舗スペースの横で

女性が編み機で布を編んだり、紙を作ったり、男性が絵を描たり、

木彫りをしていました。

お店と住宅が一体の様です。

村の中の、ハンドクラフトが盛んな道。

大きなビルは一個もなく、ぱっと見る限り機械という機械は車とバイクだけ。

道の脇には木や植物が茂り、花が咲き、水路があり、

家も竹と木とレンガで作られたようなた佇まいです。

猫がたまに通りすぎ、犬もマイペースに散歩していて。

鶏もひょこひょこ歩いています。

自然と住宅と人間と動物が融合していて、まるで昔にタイムスリップした様でした。

数キロ自転車を走らせただけなのにまるで違う風景がここに広がっていました。

 

歩いていくと、お店の前の芝生に木の土台にのせられた四角く大きい

白いキャンバスが目に入りました。

中には草木や花が埋め込んであるのもあり、一瞬なんだろうと思うのですが、

よく見ると、 紙でした。そう、紙のお店です。

 

店の入り口には紙の上に絵を描いている女性が一人。

入り口の端には紙を作っている女性が一人。

奥には大きな紙に絵を描いているおじちゃんが一人。

そのおじちゃんが色々と教えてくれました。

 

紙はマルベリー(桑の木)の樹皮から作っているそうです。

樹脂を1日熱湯で湯で、水につけると茹でたチキンの胸肉みたいに

柔らかくなります。

それを粉々に砕くと紙の下地ができあがり。

四角い容器に水を張った編みの上に下地を入れて、平に敷き詰め、

しばらくしてから引き上げて天日干して乾かすと、紙の出来上がりです。

ちなみに、花や草木を紙の中に入れたいときは水を張った際に投入します。

出来上がった紙は普段見慣れたコピーペーパーとは違い、

ザラザラとした質感と凹凸があります。

 

マルベリーの樹皮は熱湯で洗う回数によって色が変わってくるそうです。

1回洗っただけだとダークブラウンの色になりますが、

数回熱湯で洗うとだんだんと色が薄くなってライトブラウンとなり、

樹皮がまるでさきいかの様にピロピロとはがれてきます。

洗うことで強度がさらに増すそうで、

何度も洗った繊維は何年経ってもも丈夫な素材になるとか。

 

私たちの入ったお店はマルベリーの樹皮だけでなく、

・マルベリー+象のフン

・お米

・バナナの葉っぱ

・アカの木

色んな素材を使った紙を作っていました。

 

身近な素材でなにかを作り上げる彼らの様子は自然と人間が

上手く融合しているように感じます。

マルベリーの木はラオスの中では良く生えている木であり、

草木や花は、道ばたで拾ってきたもの。

東京で暮らしているとあまりこういう風景は見なくなりました。

なにかを買って解決する、ということに走りがちな毎日。

工夫さえあれば、身近な物でお金をかけずになにかをすることも

可能なんだ、というお手本を見た気がします。

ラオスの布と伝統を守る事について

素材、編み方などは今までちょっとは意識していたけど、

最初からどのようなものが、誰によって形にされるという

のは正直あまり意識したことはないのかもしれません。

無印良品とかによく置いてあるオーガニックのものの

写真やイメージ図をみてはよく「天然素材で作られた」とか、

他店でも「ハンドメイド」という表示を見るけれど、

なんだかんだ日本に出回っているものの大半は工場で作られた

工業製品だし、イメージだけで見せられても、

なんとなく実感がわかなかった、というのが率直な意見です。

 

今回、ラオスに来ていくつか布が実際に作られる現場を見ました。

そこにいる人々は蚕や綿を育て、繭やコットンから作った糸を

葉っぱ、花などの素材で染め、カラフルになった糸を

編み機で一段一段手で編んでいくのです。

模様があると模様の一部一部に編み込む作業を加えたり、

糸をセッティングしたり。一段編むのにも数分かかります。

それは、とても手間がかかるけれど、全く機械の力を借りない、

マニュアル作業と知恵でできた技術です。

 

よく日本で強調される「環境にやさしい」「エコ」とかありますよね。

たしかにそのような言葉にも当てはまるのですが、

ブランドイメージや社会問題に対してどう働きかけよう、

といった固い考えではなく、ラオスで見た作り手の人々は、

今までやってきたこをただやり続けているだけ、といった具合でした。

いいと思っているからみんなに知って欲しい。買って欲しい。

そして、だからそれをやり続ける。

そんな感じがしました。

伝統的な歴史と、長い時間をかけて開発された技術を感じます。

 

でも、伝統的な技術を持っている人がいるからといって、

その人がお金持ちになれるとは限りません。

伝統的な技術を持っている村は布を作っているだけでは

食べられなくなり、村がつぶれることもあるそうです。

大量生産ができるようになった今、布の価値は下がってきているのです。

 

一枚の布を作るのには多くの時間と手間がかかります。

細かいよれ具合やハンドメイドによる個人個人の差が一枚の布に

反映されるようなものは味があっていいという人がいる一方、

言ってしまえば布の機能としては大して変わらない機械製品が100倍も早く作れて、

売られている価格も何倍も安かったとしたら、機械で作られたものを

買う市場もなんだかうなずけます。

発展途上国なら人件費はさほど反映されませんが、日本のような国になると

人件費が跳ね上がり、いわゆる職人が作った品物というのは

とても高価なものになっています。

高価なものになれば人もあまり買わなくなり、作る人も生活できなくなります。

 

伝統的な技術や作り手の生活を守るためには、

今まで生活用品として使っていたものの用途を変更することかもしれません。

例えば、芸術品として取り上る、ということが一つ。

芸術品までいってしまえば何万という値はつきます。

芸術以外になにか…というのは、私たちは、答えがまだ見つかっていません。

上手く、伝統的な技術と近代的な技術を融合させた形でなにか魅力的なものが

作れればいいのですが。

そしてそのような答えがあれば、是非取り組みたいとも思っています。

 

しかし、伝統的な技術や作り手の生活を守る方法がなければ、

破滅の道しかないのか、と考えたとき。

もしかしたら、それが、答えなのかもしれません。

長い歴史で見れば廃れていくもの、生き残っていくもの。

人間は常に変化をし続けてきました。

伝統がなくなる、とは、悲しい事ではなく、自然な流れなのかもしれません。

一旦廃れてしまったとしても、また必要なときに人間が再度この

技術を発見できるようになっているのかもしれません。

というのは個人的な意見です。

 

伝統を守るためのすばらしい活動をしている人がいる

一方で、それらを結果的につぶしてしまう都市開発や経済活動に

取り組んでいる人もいます。

どちらも現代社会には必要な人たちです。

でも、共存する中に、矛盾があります。

解釈、見解、行動。

人や立場によって様々ですが、大事なのは、伝統を尊重し、

技術を持っている人やそれを生活の糧にしている人がいることを

知って気に留めておく事なのかもしれません。

ルアンパバーンの風景

ルアンパバーンという町は発展途上国であるラオスの中でも、

観光地化が進んでいる町なので、ホテル、旅行会社、飲食店など、

外国人向けの施設が結構あるのを目にします。

町を歩けばトゥクトゥクという乗り物に乗らないかと

寄ってくるお兄さんたちがいたり、お店の店員は英語がみんな堪能だったり。

すごく、観光者には優しい町だと思います。

メコン川に面している事もあり、絶景もあり、

ゲストハウスも歩けばすぐ見つかりますし。

ちなみに、こちらのゲストハウスはドミトリーもありますが、

100,000KIPも出せば個室で必要最低限な部屋が見つかるので、

おすすめです。

 

そんな商業的な面がある一方で、元々この町に

存在していたよさや空気感というのがまだ残っています。

商業的な部分とそうでない部分が上手く融合した町ー

そんな町であると感じました。

 

この町にはあまり音がありません。

都会だと車通りが多かったり、何かしら宣伝の音楽が流れていたり、

人の声がしたり。

ルアンバパーンにはたまにバイクやトゥクトゥクが通る音があるくらいです。

また、お寺が多くがり、オレンジの布に右肩をチラ見せしたお坊さんが

よく町を歩いています。

あたりは多くの植物が育ち、木が茂り、家の前には

テラコッタの壷が並べられたり吊るされたり、緑がたくさんあります。

高床式の竹の家に住んでいる地元の人がいたり、

フルーツシェークや地元料理の屋台を開く人や

家の前で家族の食事をしている人がいたり。

風通しのため、扉や窓を全開にしている家を見ると、

子供が床に寝転がってテレビをみてたりします。

朝には自分の村で取れた食材を売りに朝市が路面に

広げられていて。パイナップル、マンゴーから

肉や魚、お米、じゃがいもたまねぎ、香草などの野菜。

みんな地元の人向けにマーケットが開かれています。

町にはマイペースに散歩をしている野良犬や野良猫、鶏まで。

町にあるお店はチェーン店はなく、全て駄菓子屋さん規模の

生活用品を扱っているお店か、布、紙、竹細工、彫り物、木、

アクセサリーなどを暑かったハンドクラフトのショップ。

入ると決まって店員さんは「サバイディー(こんにちは)」といって

適度な距離感で見守っててくれます。

ちなみに、店員が子供な場合が多いのです。親の手伝いなんですね。

お店と思って入ると、奥で人がお店に売っている商品を作っていたりもします。

 

観光地化されているけど、魅力的な場所ってあまり多くはないと思うのです。

日本で例えると京都みたいだとゆーたむはいったけれど、そうなのかも。

古都であり、お寺がたくさんあり、観光地化されているけれど、文化が

守られ、町の風土も残っている。

そんな風景をルアンパバーンにも感じました。

 

また、これをきっかけに、今まで考えたこともなかったけれど、

マッテとポッケも観光地にあったら面白いのかもしれない、とも一緒に話しました。

観光地だと世界中から色んな人が訪れるし、自分たちの世界観を打ち出すには

絶好の場所なのかもしれない、と。

ビエンチャンからルアンパバーンのバスの中

今はルアンパバーンに無事ついていますが、

ビエンチャンからここにくる道のりが長かったです。

バスが道中故障して、一時期はどうなることやらと思ってました。

 

ビエンチャンからルアンパバーン行きのバスのグレードは3つ。

①普通

実物を見た事は無いが、おそらく普通の路面バス

②VIPバス(155,000KIP/人)

いわゆる夜行バス。リクライニング付きのちょっと大きめなシート。

③スリーピングバス(180,000KIP/人)

寝台になっているバス。ゴロリと寝れる広いスペース。

 

長旅だし、大した価格差でもないので、私たちはスリーピングバスに決定。

実際乗って見るとバスの真ん中に通路があって、

左右にベッドが上下段とあるようなレイアウトです。

一つのマットレスがダブルサイズのベッドぐらいで結構広めだけど、

一つのマットレスに2人という座席配分。

そのため、カップルや友達同士なら良いけれど、全く知らない人同士だと、

密着して隣で寝るという気まずさがありそうです。

実際に私たちの左手には「初めまして〜」と挨拶をかわしている

男性二人がいて、二人同じベッドで寝ている感じはなんだか微笑ましくも、

痛々しくもありました。(失礼ですね)

 

そんなこんなで出発をしたわけですが、20:00の出発で発車して30分あまり。

いきなり「ドン!」という音と衝撃がバスに走りました。

あれ、まさか…と思っていると「しゅるしゅるしゅる…」とバスがスローダウン。

完全にバスが止まった後、どうしたんだろうねーと話していると、

「トントントン」「カンカンカンカン」と、外からたたく音。

それで感づきました。故障です。

2時間経っても終わる気配がなかったので、外にでてみると、暗闇の中で

バスドライバーの3人がバスのタイヤを外し、懐中電灯でバスを直してました。

特に電動器具とかもない様子で、スパナやらペンチやらトンカチやら。

なので、聞こえてくる音も「ガガガガ」「キュイーン」という音よりも、

「よいしょ、よいしょ」となにか引っ張る音や、「トントン」という

たたく音だけなんですよね。

日本ではあり得ないような、100%マニュアル作業で取り組んでました。

 

今までの作業は相当辛いものだろうと思ってましたが、

ドライバーに疲れや焦りという表情もなく、

みんな笑いながら、冗談をいいながらバスを直している様子。

何時間も作業をしていて疲れてもいるだろうに、

トラブルの中でも気楽でのんびりな様子なのは、本当に素敵だなと思いました。

疲れると人当たりが強くなったり、ぴりぴりする人間ばかりではない、

というのは自分も学ばなければ行けない部分です。

 

でも、こんな調子なので、本当になおるのかなーという半信半疑の中、

0時回って2時手前の時間に、やっとバスが動き出したのを覚えています。

その後はウトウトと爆睡をしてしまって記憶も曖昧ですが、途中、

ドライバーによるのりのりの音楽がかかっていたのはうろ覚えです。

 

その後、無事にルアンパバーンのバスターミナルについたわけですが、

5時間という長期戦でバスを直して、さらに運転もするというドライバーの

ガッツには驚かされます。

着いたときにはさすがにドライバー自らの歓声が上がりました。

 

旅はトラブルがつきものですね。

めでたしめでたし。

タイ〜ラオスの旅へ

タイとラオスの旅。

ずっと念願だった旅。

2013年9月29日〜10月24日までの期間で夫婦二人でいくことになりました。

前半はタイ、バンコク

後半はラオスビエンチャンルアンパバーン

西荻窪のお店のマッテとポッケはライフスタイルを提案するショップなわけだけど、

今回、日本から一歩引いた東南アジアでライフスタイルというものを改めて考えられればと思います。

今は旅の折り返し地点というくらいの日の朝9時。

起きたのはラオスルアンパバーンという世界遺産の町。昨日の朝につきました。

一泊80000KIPの安宿に泊まっているけど、

(10000KIP=80円。日本円に直すときは、ゼロを2つとって、2割増くらいにするとよいのです。

今回は大体1000円くらい。)

お風呂もトイレットペーパーもついている個室で、水も2つついてくるし、文句なしです。

なにより家族経営でやっているところで、かわいい坊主がにこやかにwifiのパスワード教えてくれたり、

洗濯物をしてくれたり、奥様が受付をしてくれたり、

なんだか微笑ましいのです。

さて、今日は町の散策にでもいきますかね。