夫婦で働くこと・生活すること

働くこと・生活すること・夫婦ブログ

スポーツという仮面をかぶったアート

ながーいグランツールの季節がおわった。

グランツールとはサイクルロードレースのステージレースである大会ジロ・デ・イタリアツール・ド・フランスブエルタ・ア・エスパーニャの事で、5月から始まり9月まで続く。

サイクルロードレースの中でも最も大きな3つ大会。

今日はその4ヶ月間続いたグランツール期間の最終日!! 

おわってしまったーーー!!

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以下:グランツールについて(wikipedia

  

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グランツール - Wikipedia

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グランツールGrand TourGrands ToursGrande Giro西Grandes VueltasGrote Ronde)は、ヨーロッパで開催される自転車のプロロードレースのうちジロ・デ・イタリアツール・ド・フランスブエルタ・ア・エスパーニャの3つのステージレースの総称である。三大ツールともいう。

ステージレースはジロ・デ・イタリアツール・ド・フランスブエルタ・ア・エスパーニャ以外にも数多存在するがこの3レースはいずれも実施期間及び走行距離がとりわけ長い。2013年現在、UCI競技規則で定められている主な概要としては

    • 日程は15日以上23日以内。
    • 競技区間の総走行距離は3500km以内。
    • 日程の途中に2回の休息日を設けること、なお1回目の休息日は大会8日目以降に設定すること。

という過酷なもので、しかも平地・山岳・タイムトライアルというそれぞれ要求される能力が異なる種目で総合的な力を発揮できなければ良い成績を収められないという点において共通しており「最大・最高のステージレース」という意味合いから「グランツール」の名が冠せられている。それゆえ過酷さも他のレースとは桁違いであり、優勝することはもとより完走すること、果ては出場することさえ困難である。しかしその一方で知名度や賞金額も高いため、総合優勝者ともなれば最上級の賞賛が贈られるのはもちろんのこと出場するだけでも名誉なレースである。

中でもツール・ド・フランスグランツールの中で最も歴史があり他の2レースと比較した場合、出場選手のレベルが相対的に高い。さらに知名度も高くロードレースに関心のない人もツールだけは特別に興味を持っていることが多く、大会期間中にテレビ中継等で観戦する人は世界で10億人を超すとも言われている。そのためツール・ド・フランスを「世界最大の自転車レース」と呼び、スポーツイベントとしてはオリンピックサッカーワールドカップと同格の「世界三大スポーツ競技大会」に位置づける人もいる。

しかしながらツール・ド・フランスグランツールの中で最も過酷なレースかというと必ずしもそうとは言えず、山岳コースの設定はジロ・デ・イタリアのほうが厳しいと見る人も多い。そのためツール・ド・フランスが「世界最大の自転車レース」ならジロ・デ・イタリアは「世界最高の自転車レース」と評されることがある。

なお、2013年現在グランツール3大会すべてで腕時計メーカーの「フェスティナ」(FESTINA)社が公式計時を担当している。

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 サイクルロードレースは他のスポーツと異なる面白さがある。

それが何なのか…。

色々と考えてきたけれど、答えはひとつではなく沢山あるなぁ、と思う。

けれど、なかなか上手くそれが伝えられない

とても地味なスポーツだし

おもう事は、スポーツとしてサイクルロードレースは、他のスポーツから少しズレた価値観や歴史で成り立っているのではないかな。

多くのスポーツが能力と結果を中心にして仕組みが成り立っているのが普通。

しかし、サイクルロードレースは、開催国の歴史や国民性、またスポンサーの価値観など、数値化できない要素が大きな影響を与えている。

その中でもグランツールは、ヨーロッパ三ヶ国を巡る壮大なる旅で、より地域性やその土地の歴史が強く影響する。

グランツールはその国の国民の大半がテレビで観戦する。

また旅のルートは毎年変わる。

とても地味な農村地域も巡る。

それを全国民がテレビで見ている。

普段は誰も注目しないような自然しかないような地域全国民が注目する。

その多くの風景は100年以上の歴史ある建物と力強い欧州らしい山々。

その風景を見ているだけで何か感じずにはいられない。とても地味で深く力強い旅。

それはスポーツという仮面をかぶったアートのように感じる。

 

 

 

黄金の街へ踏み入れたキーマちゃん

新宿は高いビルがいっぱいだけれど、長屋が連なる路地もあって。

その一つは言わずと知れたゴールデン街

第二次世界大戦後に作られ、文化人が集まる場として有名な歌舞伎町エリアだ。

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この度蓄音機演奏家のオヤビン佐藤さんがSUZU BARで演奏をすると聞いて行く機会があったのだ。

 

少しドキドキしながら踏み入った狭い路地は、今では違法建築になってしまうような古い建物があり、グラフィティされた壁があり、ネオンサインがあり、カウンターだけの小さいバーが連なっていた。

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勝手な偏見だけれど、麻薬の売人や指が数本取れた人や、モリモリのギャルや泥酔した男女がいるのを覚悟したのだが、全然そんなのではなかった。

 

不思議と治安の悪さを感じることがなく、いやらしさもなく、陽気な感じだった。

若い人も外国人も多かった。

 

観光気分で歩いていると「うちの店こない?」と白いスーツを着たデビイ夫人似の人に声をかけられた。

「お店決まっているんです、ごめんなさい。」と答えると

「あら、あなた男じゃないのね。男かと思ったわ。」と言って去って行った。

色気が全くないと旦那に言われる毎日が頭をよぎる。

ついに、まさか、男に間違われる日がくるとは。。。

 

傷ついた心はさておき、お目当のお店で蓄音機の演奏を聞くことができた。

ビリィ・ホリディ&ナット・キング・コールのセットリストだった。

蓄音機は1936年、イギリス製。

手回しのゼンマイで電気がいらない仕組みにもかかわらず、しっかりした音量である。

たまに、かすれるような雑音が入るのがまたレコードの良いところだ。

 

お会計をして帰るとカラオケをしているお店の声も路地に響く。

しっぽりやっているお店もある。

アーティストが作品を展示しているようなことも。

 いろんなお店を横目に、ゴールデン街を後にした。

 

馴染みがないと一見敬遠しがちな場所。

でも、文化が、アートが、ここにはあった。

 

また飲みに行かないと。

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ディズニーランドよりも楽しいジョイフル本田

ディズニーランドが嫌いな訳じゃない。

でも、はっきり言って大して好きなわけでもない。

入場料6900円を払って1日楽しむのであれば、

ジョイフル本田で6900円分の資材や材料を買って1日楽しみたい。

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ジョイフル本田はそれはもう広い広いホームセンターで。

中でも、超大型店と言われる瑞穂店は東京ドーム2.3個分という広さだ。

(ちなみに、ディズニーランドは東京ドーム11個分なので 、あっさりと負けをとる…。)

そんなジョイフル本田の魅力を紹介!!

 

まずは、各フロアの案内から。

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一階はガーデン、エクステリア、建築資材、生活用品、そしてガソリンスタンドまである。

二階は画材類、ペット専門店、住宅設備、アーンティークショップ、フードコートとなっている。

 

一階の広さには驚愕!!建築資材の売り場だけで普通のホームセンター以上の広さ!

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職人さんが使う材料や道具などが売られている。だいたい何でも資材は揃う。家一軒まるまる作れてしまう。

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ジョイフル本田らしいのは、サンプルの展示の仕方。

例えばデッキ材コーナーは実際のデッキが何個か展示してある。

こういうのがあると材料だけでなく、それを使ってどうしようかな〜という夢が膨らむのが嬉しいところ。

おまけに作り方の資料まであるのでその気になればいつでもやれるのだ。

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加工室ももちろんある!

元職人さんと思われる資材に超詳しいスタッフが好みの大きさでカットしてくれる。手前にある端材コーナーも豊富だ。

他のホームセンターだと加工室のスタッフは1人か2人だけれど、ここには4人以上いる!スペースも広々!

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電動機械によっては体験コーナーが充実している場合も。都内のホームセンターながら耕運機の体験も出来る!

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資材、電化製品の先に生活用品がある。一直線の通路でも奥が見えないほど広く長〜い。

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ワークウェアーコーナーは一風変わっており、「久留米織」という、ローカルな布を使ったmade in Japanの服も売っている。

ちなみに、ホームセンターマジックで一着ほしくなり、作業着として買ってみたのだが、汗の吸いが今治タオル並みにめちゃめちゃ良い。

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長いエレベーターで二階へ。

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アート、クラフト、アンティーク館。東急ハンズ世界堂みたいな感じ。

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多種多様なメーカーが揃っていて、いろいろ吟味したい人にはもってこい。

おまけに、陳列の方法がそれぞれ説明、サンプルが書いてありとても見やすい。

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油絵の具だけでこのボリューム。。

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クラフト好きにはたまらない。時期によってはセールも開催されている。

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雑貨屋さんもあり。

何万円もするアンティークから、数千円のアンティーク風の雑貨が混ぜて置いてある。

急にジャズが流れて間接照明になる空間はホームセンターにいることを一瞬忘れてしまいそうで戸惑う。

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お腹が空いたらフードコートへ。

カフェ、アイスクリーム屋、牛丼屋、ラーメン屋、うどん屋、石焼ビビンバ屋、たこ焼屋き、長崎ちゃんぽん屋…その他いろいろ。

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休憩スペースはパルテノン神殿風。

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1Fに食材コーナーもあり。

有機野菜や自然農法で作った野菜、地元で採れた野菜などの販売がされている。帰りの夕飯までお買い物ができるわけだ。

 

目的がある場合は探して購入するだけでも数十分。

目的がない場合は気分にまかせてぷらぷら…という感じで一日中楽しめる。

 

ちなみに、今回写真はなかったが、ペットコーナーや作家の展示コーナー、ノジマ電気まで入っている。そして生鮮食料品売り場もあって肉も売っている。

 

一言でいうと、なんでもある。本当になんでもある。

数時間ではとても見きれないので、(現に、野菜が売っているなんて3回目の訪問で初めて知った)何回か足を運んで少しずつ攻略したいもの。

 

ジョイフル本田の中で一番大きいのは群馬県にある新田店らしく、東京ドーム4.9個分だ。どんなところか、一度行ってみたいな・・。

http://www.joyfulhonda.com/shopcompare/

総合職か専門職か主婦かフリーランスか

インテリアデザインってかっこいいよね。デザイナーってなのってみたいよね、というミーハー心から町田ひろこアカデミーに通いはじめた。

 
インテリアコーディネーターの養成学校である。
 
ちょうど大学を卒業して貿易物流の総合職についた2年目くらいのことだった。
 
人生に迷っていた。
 
会社という組織に属していながらその組織に従順であるべき自分に違和感を持った。
 
違和感は色んなジャンルに及んだ。
いつまで働くんだろう。
死ぬまでここにいるのかな。
10年後はなにしているんだろう。
みんな何のために働いているんだ。
書類はなんでこんなに必要なんだ。
稼いだお金はどこに使うんだ。
 
色々思考を巡らせていたらなにかのスキルを身につけたい自分に気がついた。
 
何かにおいてプロになりたいし、限られたジャンルで成長してみたいと。自分のペースで。
 
かといってすぐに活躍できるほど特殊なスキルはないない。人脈もない。どこから手をつけていいかわからない。
 
だから、学校に通ったのだ。
 
私の得られたものは期待の半分くらいだった 。
 
デザイナーってかっこいい、いつか名乗ってみたいというのが考えだったが、重要なことに気がついていなかった。その気になってみれば、誰だって明日からデザイナーと名乗れるのだ。受験とは違う。ハードルはめっちゃ低い。ただ、自信が必要なだけ。その自信は学歴で賄う人、センスで賄う人、修行期間で賄う人、最初から持っている人色々いると思われる。私の場合は学歴で賄おうとした。が、気がついていなかった。必要なのは実践だったってことに。
 
私は学校を中退した。会社もやめてしまった。
 
会社を辞めた次の日に結婚し、その数ヶ月後に起業した。
 
そして3年たって気がつく。
 
インテリアコーディネーターになりたいと思っていた自分はもういない。
 
写真を撮りたいし、スタイリングがしたいし、自分のペースで生きたいと。
 
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街記録写真プロジェクト「湯河原編」

湯河原は廃れた街だった。古びた街並み。廃墟と化した建物たち。

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旅館と思われる場所に「売却中」という文字がついていた。

でも、歴史と共に刻まれた文化はたしかに残っていた。

 

高齢者といっても過言ではない人が営業しているお店もある。

月曜日にも関わらず観光客もいる。

 

なんせ。ここには良質な温泉があり、海沿いで魚介がとれるのだ。

だから、廃れても。無くなる街ではないだろう。十分に魅力的な街だ。

現に大手のリゾート会社からの買収物件や建設中の施設も。

 

私たちは知人の実家でもある重要文化財の上野屋に泊まった。

増築の繰り返しで徐々に大きくなっていった300年の歴史を持つ旅館。

周りは温泉旅館が連なる路地。湯治場として息づぐ場。

そこにはとてもリアルな人々と街の姿があった。

木造建造物や街中の人柄は古き良き日本のノスタルジー。

 

この街は、生活と生業が隣り合わせだ。

それを最も感じたのが小さな漁村地域。

 

都市部にはなかなか残されていない生活と生業の一体感。

この地域での体験はとても心に残るものがあった。

 

そういった私たちの経験を、写真を通じ追体験してもらえたらと思う。

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最後に。湯河原の街を案内してくれた地元の2人に御礼申し上げます。

 

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街記録写真プロジェクト

 

最近、写真を撮ろうと決めた。

一昨年はラオスとタイに行った。

去年はアメリカのポートランドサンノゼに行った。

その旅の最中2人で写真を沢山撮った。

そして。バンライフのフォスター・ハンティングトンのことを知った。

それの日本版を作ろう。日本を旅をしてみたいと思った。その記録をつけるのだ。

これから写真を撮るために日本中を旅する。

2人の異なる視線で。

一人は単焦点レンズで。

一人は広角レンズで。

出来る限りそれぞれのレンズの魅力を発揮出来る様な視点で。

 

二組のアーティスト

 

去年から我々夫婦が楽しみにしていたモノが完成した。

近所に住んでいる友人リョウ・マルオカの初アルバム「サイクル」のリリース発表がされた。

そのプレビュー音源を聴かせてもらった。

素晴らしい作品だった。

今もずっとリピートして聴いている。

とても個人的な細かな気持ちの揺れが音楽になっている。聴けば聴くほどに繊細な感覚が音となって響く音楽だ。

繊細な感覚がどんどん研ぎ澄ませられて、浮遊感を覚える。それは、とても日常的な空間の中で身体が浮き出す感覚だ。あくまで日常の中での出来事なのだ。

そして浮いていた身体は、また一定期間を経て元の位置も戻ってくる。その時、少し自分の変化に気付く。ほんとうに小さな変化に。

そんなアルバムだった。何だか自分もはやく作品をつくりたいと震えたった。

http://bridge.shop-pro.jp/?pid=92400106

そんな日々を過ごしていた。

もう一組。このひと月、ずっと聴いているアーティストがいる。

アナログフィッシュ

きっかけはたまたま。ウチの店で小さな会を開催してくれた。実はその日までアナログフィッシュの事は知らなかった。

でも、今では過去のアルバム全てお気に入りで。毎日通勤の車中に聴いている。

彼らからも新作アルバムのプレビュー音源を聴かせてもらった。

新作アルバムも含め、どのアルバムも一曲一曲が個性を持っていて、耳に残るフレーズが沢山詰め込んである。

無理に気分を上げるわけでもなく、無理に深刻な気分にさせるわけでもない。常に平坦な気分なんだけれど、言葉の力とメロディーの力を最大に使って、聴いている僕らをその独特なアナログフィッシュの世界に引き込み、少しづつ気持ちを高揚させる。

その独特な世界観と少しノスタルジックな感覚にハマり、気が付くと虜になっている。

http://analogfish.com/wp/archives/5343

この数日前にはフジロックに行って、ミューズやフーファイやツイッグスなど大物アーティストにガツンとやられてきたけど。

私たちの日々の生活の中では、リョウマルオカとアナログフィッシュの身近な音楽の方が自分たちにすっと馴染んできた。何だか、すっと生活に入り込んでくる感じ。

そういえば、20歳くらいの頃。音楽アーティストの舞台をつくりたいとずっと思っていた。

自分は音楽が好きだけど、音楽を演奏するセンスも歌うセンスもないし音楽知識も特別ない。

だけど何かしらの形で関わりたい。音楽を聴いて感じることは得意だし、そのための空間なら作れる。そんな風に思っていた。

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フジロックから帰って、二組のアーティストから、そんな事を思い出させてもらった。

どうやって稼いで生活するの?

おもいっきり自転車をこいで風をきるように。自分なりのステップでダンスをおどるように。小さな波でも大きな波でも正確なタイミングで波にのるように。

 
上手く表現できないが、何事にも自分なりの進み方があるはずだ。
 
それは、思考だけでは駄目で、身体を使わないと実現できない。
 

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田舎(長野)と都会(東京)の二重生活をはじめると、友人たちに話すと皆同じことを聞いてくる。「どうやって稼いで生活するの?」

少し会話に間が空く。そして私たち夫婦は返答に少し困る。
 
なんか、そういう事じゃないだよなぁ。なんだろう。
 
今、私たち夫婦に答えはない。そもそも言葉では説明できない事をしようとしている。
 
それは身体を使わないと表現できないし、理解もしてもらえない様に思う。
 
おもいっきり自転車をこいで風をきるように。自分なりのステップでダンスをおどるように。小さな波でも大きな波でも正確なタイミングで波にのるようなものだから。

賃貸マンションより

東京に帰えってきた。

僕は東京が好きだ。しかし。まいど思う事だが東京は本当に落ち着かない場所だ。秩序ない建物ばかりで構成され、常にノイズ混じりの落ち着かなさ。

そりゃ東京には居心地の良い場所も沢山ある。ただ、そんな場所は局所的に存在するだけ。殆どは嫌気が差すような建物ばかり。

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まぁ、そんな話は今更話で、面白くもなんともないのだが、東京に戻って、先ず感じた事なので書き残しておこうと思う。

特別、他に書く事も無いので。

賃貸マンションの一室に暮らす自分を客観し、静かにお酒の力をかり思考を…。

はじめる

明日からまた長野へ行く。長野に通うのも少し慣れてきた。

この夏には家の改装を開始して、秋には引越して、冬を越え春になったら東京と長野の二重生活になる予定。

そんな新生活を機にして、このブログでは普通じゃ考えられないくらい自由奔放な日々を、時にマジに、だいたいにしておかしく、綴ろうと思う。とくに深い意味は無いのだが。ラジオも同じでやってみて色々と意味が出てくるもんだと思っている。

今までは、それぞれツイッターフェイスブックなんかは多少やっていたけれど、ブログサイトでちゃんとまとめてみようかと思ったわけだ。

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長野の家は、空き家バンクで買った二階建てなんだけれど、一階が生活スペースで、二階がフットサルくらいできるだだっ広い空間でアトリエになっている。これからはそこで日々作品を作る生活をしようと考えている。アトリエ空間があるだけで普通の人とは違った生活になり、モノを作るのが当たり前な生活になる気がする。

それでは、明日朝早いのでユニクロで買ったパンツを詰めて、歯磨きを忘れずに、おやすみなさい。

映画「ANNIE」

もともとミュージカル映画が得意でない夫婦の主観的感想です。

評価点:キーマ80点/ ゆーたむ65点

ミュージカル映画が好きじゃなくても普通に楽しめる映画だった。

というのは、この映画はかなり作り込まれた映画だったと感じた。

配役やセットもカメラワークもテンポも良く、完成度が高かったなというイメージだ。

 

ミュージカルによくありがちな曲とストーリーの分裂がなく、

ストーリーの中に曲がマッチしている印象だった。

ストーリーから曲への入りがスムーズだったのだ。

映画中に起こっている事象からリズムが生まれて、いつのまにか曲になっている。

最初のシーンはアニーが学校の教室で、

アメリカの歴史について発表をすることからはじまるのだが、

彼女が発表でクラスの中をお金持ちの人と貧乏な人で割り当てをし

「前列の人は手を叩いて」「後列の人はこのようなリズムで」

という具合に机を叩く音やクラップからリズムをつくり、

音楽のセッションが始まるようなシーンがある。

盛り上がったところで授業終了~みんな解散!

それぞれ学校から走りながら帰っていく。そこからストーリーが展開する。

いつの間にかストーリーが進み、いつの間にか1曲聞いていたという感じで

テンポよく展開する。

 

ミュージカル初心者としては曲の中でストーリーが進むというのもよかった。

ミュージカルといえばその時の感情を歌って終わり、

というものを想像していたが、掃除をしながら曲を歌って掃除終了~とか、

豪邸にいって驚きながら曲を歌って散策終了~とか。

上手く曲を利用してストーリー展開を図っていた。

 

演技もうまい役者ばかりで、文句なし。

観ている最中はポップな曲調と踊り、

細部までこだわったセットで楽しい気持ちになれた。

アメリカの子供がどういう遊びをしているか?なども良く表現されていた。

以上をふまえ、私は80点とわりし高評価な点数をつけた。

 

ただ、ストーリー自体は単純であり、最後のシーンはわりと想像つくような

ありがち展開だ。そのため、余韻を残すような「良い映画だった」感は

あまりなかったので、ゆーたむ的に65点となったようだ。

映画「インターステラー」

上映時間169分のインターステラーを観てきた。

映画を観た感想としては、100点中30点くらいかなと思った。

夫は60点くらいとの評価だった。

 

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銀河系を超えた宇宙や相対性理論、人類破滅という難しいセッティングの中

展開される映画ではあったが、テーマは家族ドラマ、ヒーローは勝つ、

なんだかんだ人類は生き残っていく、といったメッセージだった。

深みやひねりははなく、意外とストレートに伝えられた感じだった。

宇宙映画と聞いてキューブリックの「2001年宇宙の旅」みたいな映画かと

勝手に想像していた部分があったので、ポップでベタな仕上がりに

不意をつかれた感じだった。

 

よかった点としては、リアルな宇宙を想像させる映像がすごく、

宇宙旅行へ行っている気分になれたこと。銀河系にスペースシャトルが浮遊している

様子や、氷で覆われている惑星や海一面の惑星の世界がリアルで迫力満点。

宇宙飛行士の目から見る世界が少しわかったような気がした。

また、宇宙船の連結時、発着陸時の緊迫した様子が伝わってきたので、

ドキドキ感もあった。音響も映像と合っていてよかった。

 

悪かった点の方が多いのだが、一言で言えばストーリーが薄っぺらいということだ。

地球が滅びる危機が迫っている中、NASAが人類移住計画を実行するための

惑星を探すストーリーなのだが、そもそもなぜ地球が滅びることになっているのかが

よくわらからず謎だった。

また、宇宙という科学的な題材で理論に基づいた描写がされる中、

父と娘の家族愛も同時に描かれる。

その科学的な要素と非科学的な要素のバランスが悪いように感じた。

宇宙の映像がよくてその世界観に浸っていたいと願うのだが、

いちいちヒューマンドラマに邪魔をされる。

 

一番思ったのは、最後のシーン。

主人公の飛行船が解体し、宇宙に独り身で放たれ、5次元空間にトリップするのだが、

5次元空間に閉じ込められた主人公が見たのは、

小さい頃の娘が家の部屋にいるところ。

主人公は娘の部屋にあった本棚の本を通して、

なんとか宇宙から過去の娘と自分へのメッセージを暗号で伝えるのだった。

そのメッセージは、「宇宙への旅にでるな。家にいろ。」というメッセージなのだ。

そのシーンは映画冒頭に娘が本棚からなにかメッセージを

読み取るシーンと重なるのだった。

このシーンこそ、イマイチな展開ベストワン。

今まで科学的な宇宙の仕組みや計画がある中、

あまりに非現実的すぎる5次元のシーンに冷めた気持ちになった。

今まで散々時空とか人間の力を超越したなにかを示唆する中で、

主人公が宇宙にいながら地球の娘と交信できたタイミングや、

娘がすぐにメッセージに気がつく感じがあまりに出来すぎた展開だ。

そのストーリー展開があまりに安易すぎて、

一気にSFからベタベタなヒューマンドラマに放り投げられ

映画がよくわからないものになる。

また、主人公には何度か危機が訪れているにも関わらず、

なんだかんだが助かっちゃう様子もベタだった。

ベタが悪いわけではないが、あまりに表面的にさくっと進む展開なので、

もう少し上手い映像の作り込みはできなかったのかとつい思ってしまう。

 

キャラクター設定もイマイチだった。

例えば、NASAで宇宙飛行士になるような頭の良い人物であれば、

論理的な行動にでたり、利口な手口を使ってもおかしくないはずだ。

宇宙探索中、主人公率いるチームや先人の宇宙飛行士に出会うのだが、

その飛行士が主人公を殺しにかかる。

そのストーリー展開は悪くないが、NASAの宇宙飛行士なる人がとった行動や

表情があまりに稚拙だった。

その人の人格が厳しい環境下で崩壊していく様子が描かれていれば別だが、

そのような描写もなかったので、単にキャラクターの設定が

矛盾しているような印象を受けた

他のキャラクターも表面的な設定が多く、人物像をあまりつかめなかった。

ストーリーにいろんな要素を盛り込見すぎて、

キャラクター含め一個一個の設定に深みがでなかったのかもしれない。

 

厳しい目で見ると色々とつっこみたくなる映画だったが、

ドラマ的にサクッと見る映画が好きな人はちょうど良いストーリー

だったのかもしれない。

ただ、サクッと見るドラマにしては宇宙や人類滅亡など、

結構重い題材と映像を見せつけられる。

重い映画なのか軽い映画なのか、どっちつかずな感じは新しくもあるが、

個人的には中途半端な映画だった。

 

自分自身科学や相対性理論についての知識が皆無なので、

どうしても映画全体として楽しめたかどうかの感想になってしまう。

科学の知識が豊富な人がみればまた違った楽しみ方があるのあもしれない。

映画「ベイマックス」

評価点: キーマ90点、ゆーたむ70点。

ディズニー映画ベイマックス。

何度か予告編を見たことがあって、

なんとなく想像つくストーリーだなって思っていた。

ディズニー自体そこまでファンでないので何も期待しないで見に行った。。。

のだが、率直に、CGがすごかった。

町の風景や視点の置き方、質感の表現。

CG酔いせずにすんなり見ることができて、CGの凄さがストーリー云々よりも

感動できて、高評価となった。

化学が発展したらどうなるんだろうとか、夢を見させてくれた気がする。

 

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ベイマックスは風船でできているロボットなのだが、

ベイマックスというキャラクターがかわいらしく、

見ている人は思わず愛着を持ってしまう

なんとなくアホ面でぱっと見は決してかわいいと言えない容姿にもかかわらず、

知れば知るほど愛らしく思えてくるのは、

やはりものは見た目ではなく中身なのかと実感させられる。

 

ストーリー自体はとても単純なもの。

主人公の兄は大学で開発したベイマックスというロボットを残したまま、

事故によって死んでしまった。

その事故は兄の大学教授によるものだと判明し、

主人公がその教授に復讐をしに行く、というのが大体のあらすじだ。

兄が死ぬという悲劇にもかかわらず、兄の死がストーリーの中で

かなりないがしろにされている単純さゆえ、

ストーリーの深みがなく佑太の評価は70点となった。

ストーリーの節々にみられるアメリカンジョークは面白かったという。

 

ディズニーはエックスメン、スーパーマンなど作っていた

マーベルコミックも買収したらしく、

今回はマーベルコミックカラーが散見される映画だった。

アクションシーンが多く、各キャラクター得意技があり、

レンジャーぽい仕上がりになっている。

最後のエンドロールもマーベルコミックタッチだ。

ちなみに、エンドロール後に出てくるおまけアニメだが、

あれはマーベルコミックの社長を風刺したジョークだそうだ。

見る人が見れば「わはは」と笑いたくなるようなシーンだが、

残念ながらそこは背景知識がなく、知ったのは映画を見たあとだった。

展示「ミッシェル・ゴンドリーの世界一周」

東京都現代美術館での展示だった。

今回、こちらの展示会では「自作ムービーを作ろう!」

というワークショップをやっていたのだが、

参加者は限られており、参加はできなかった。

 

入場してまず最初にレンタルビデオショップのような風貌の小屋があり、

そこには、ワークショップ参加者が作ったビデオをレンタルできるスペースがあった。

その後、展示を進んでいくとミッシェル・ゴンドリーが1000人の似顔絵を

描くプロジェクトの時に描いた絵が壁全面に張り巡らされていた。

次に、ゴンドリーが作ったプロモーションビデオが数十台のモニターで

映し出されており、それを歩きながらヘッドフォンで聴くという展示だった。

一つのプロモーションビデオにつき10秒くらいの感覚で、

違うプロモーションビデオが次々に流れていく。

モニターには通し番号が振ってあって、全モニター、

ビデオが時間差で放映されており、

それぞれ違う映像が連鎖的に流れる仕掛けがしてある。

例えば、1番モニターのプロモーションビデオを10秒見たのちに、

続きを見たければ2番モニターに歩いて行く、といった具合だ。

 

 

ここまではよかったので期待値が高まったが…

その後は「ムービーを自分で作ってみよう!」というテーマで舞台セット

(病院、カフェ、リビング、ホームレスの家など)が置いてあった。

特に説明もなく、好きに遊んで~というスタイルだった。

もともとインテリアを仕事にしていて、日頃から空間作りを得意とする

私たちからすると特に目新しいものはなかった。

強いて言えば、「良いクオリティのものでなくても、それっぽいものを置けば、

映像の角度や編集でどこまでもリアルに見えるもの」

と感心したところだろうか。

その後は舞台でミッシェル・ゴンドリーが使った小道具やジオラマなどの展示が

数個あったが、それで終了だった。

 

今回の展示はミッシェル・ゴンドリーのことを知るというよりも、

映像を作る楽しさを知ろう!というような感じだった。

私たち夫婦はワークショップに参加したわけでもなく、

セットを使って自分たちでなにか撮影したわけでもなかったので、

映像を作る楽しさを体験することはなかった。

映像の楽しさというテーマであるなら、ミッシェル・ゴンドリーである必要性は

全くなかったのではないだろうか。

会場側が無理矢理ミッシェル・ゴンドリーの名前を使って展示をやったのではないか、

と思ってしまうような内容だった。

結局今回、ミッシェル・ゴンドリーの作品を見ることができたのは似顔絵、

プロモーションビデオ、小道具ぐらいで、その他彼の作品紹介や解説などあまりなく、

得るものも少なかった。

やはり映像作家の展示は難しいのだろうか。

映画「フューリー」

映画「フューリー」をお正月に観る。

 

フューリーは前にテレビで紹介をされていて、

またブラッドピット押しの映画か~と思って積極的に観たい

映画ではなかったのだが、ちょうど映画館に行った時、

フューリーが一番時間的都合がよく、チョイスしたのだった。

結果、重い戦争映画をお正月に観ることになった。

 

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舞台は第二次世界大戦中。

アメリカ軍がドイツに攻め込む中、アメリカの陸上戦闘員が

死に怯えながら神経がすり減っていく様子や無気力感、戦争の残酷さ、

人間の極限状態、倫理を描いた映画だ。

ブラッドピットは戦車グループのリーダー。

彼の指示に従い、部下4人の計5人チームで戦う様子が描かれている。

フューリーは彼らの乗っていた戦車の名前だ。

 

まるで戦争を経験したかのような気分になる映画だった。

映画のセットにかなりお金がかかっていて、

死体がゴロゴロある様子や戦争中の小道具、戦車の中のインテリアや血の跡など、

どこもかしこも抜かりなくリアルだった。

途中ノーマンという素人軍人がチームに加わるが、

最初は「ドイツ人を殺したくない。それは間違っている。」

という倫理の塊だった彼が、間近にアメリカ人が殺される様子や

自分も殺される危機を感じるにつれて思考が変わり、

最後は「くたばれ!」と言いながらドイツ人に銃を乱射する結果となった。

まるで全く戦争経験のない自分が戦争に参加することになったらこうなる、

という事例を見ているようだった。

 

敵対視するドイツ軍ではあるが、最初は一人の人間として

映画の中でみていたのに、最後は「人」というよりも「モノ」

にしか見えなくなっている自分に気がついてぞっとした。

馬に乗ったナチスの軍人を一人、ナイフで殺すところから

映画は始まるのだが、その後銃で捕虜を撃ち殺したり、

戦車同士で戦闘になったり、だんだんと撃ち殺す人数が多くなっていった。

最後は行進するドイツ軍集団をアメリカ軍の戦車の大砲と銃乱射で

大量に殺すシーンだった。

 

臨場感ある戦闘シーンが実に多い映画だったので

「死ぬんじゃないか」というハラハラ感をずっと持ちながらの鑑賞となった。

見終わった後はどっと疲れた。

映画館の外を出ても戦闘中のシーンが脳裏に焼き付いていて、

東京の夜の静けさや平和が非日常的に感じた。

お正月にこんな映画を見たのは今年が初めてだ。

展示「ティムバートンの世界」

2014年の締めくくりに、六本木ヒルズ森タワーでティムバートンの展示会に。

ティムバートンといえば「ビッグフィッシュ」「チャーリーとチョコレート工場

シザーハンズ」「バットマン」「ナイトメアビフォークリスマス」などなど、

もともと知っている作品がいっぱい。

家にもDVDがいっぱい。

曲線的な絵とホラー&メルヘンな世界観を持った人という印象があった。

 

今回ティムバートンの展示会はチェコをはじめ世界ツアーを

2013年3月からスタートしたそうだ。

日本は二カ国目として森タワーで開催され、日本には初上陸となった。

もともと「ティムバートン展」がNY MOMAで2009年に開かれ、

その時は作品が時系列に並べて展示され大成功だったらしい。

「ティムバートンの世界」では、時系列ではなく、

プロジェクトやモチーフごとに区分された展示方法が採用された。

 

展示を見終わった感想としては、時系列のままの方が良かったな。。

というところだろうか。

ティムバートンのスケッチがたくさん展示されており、

売れない時代から有名になりはじめた時代まで数々の作品を見ることはできたが、

モチーフごとに分けているといいつつも、あまりジャンル分けされた印象を受けず、

逆にメリハリのない展示になってしまった感じがあった。

結局、大量の絵を見た感はあったが、それがどういう背景で書かれたのか、

ティムバートンはどういう人物だったのか、

どういう意味をこの作品に込めたのかといった情報があまりに

ざっくりとした概要でしかなく、せっかく展示会に来たのに画集を

見ているような気持ちになった。

 

作品自体はどれもさすがで魅力的だった。

しかし、ティムバートンのことをはじめからよく知っている人だったら良いが、

あまり馴染みのない人が行ってティムバートンの作品を理解できてその人を

好きになれる展示だったかというと首をかしげるところもある。

反対に、初めからティムバートンを知ってる身としてはもう一歩

作品に踏み込んだ解説や背景、売れない時代やインディーズの頃の作品や

人物像が観れると思っていたので、がっかりしたところもあった。

500円払ってイアホンを借りたクリスヘプラーの解説も展示パネルとほぼ一緒で、

あまり目新しい情報はなかったのが残念

結果、絵はいっぱい見たが、なんだか釈然としない展示だった印象がある。

 

展示自体は批判的になってしまったが、

ティムバートンのスケッチや作品はさすがだった。

ホラータッチや皮肉の込めた作品であっても、

笑ったりかわいいと思える独特の世界。

ゴジラが好きだからそれに託けておばさんと組み合わせた怪獣、

マザラを生み出すような感じとか、

一見パロディチックに思われるものもティムバートンワールドの中で調理されると

パロディが一人歩きして完成された作品になってしまう。

そこまで出来るのは彼がとてつもない発想力と創造力の持ち主だから

ということがわかる。

おまけにティムバートンは言葉遊びが巧みで、

まさにマザラのネーミングからも分かるように、

韻を踏んでリズムを取りながらも鋭いメッセージを感じることができる。

ちなみにマザラはヘアカーラーをロケットにしているゴジラ風のピンクの怪獣だ。

 

ティムバートンはレストランの紙ナプキンからノートの紙、

ディズニーで勤めているときに会社にあったアニメーション用紙などを用いて

絵を描いており、紙とペンさえあればいつでも作品作りをしていた。

下書きっぽい作品のボリュームはかなり多く、

彼にとって絵を描くことは食べる事と同じような感覚で、

ごく自然にやってしまう衝動的な欲求のように思えた。

それらの作品はどれも物語を持っており、

今にも動きだして映画の主人公になりそうなわくわく感があるのだが、

彼は常に脚光をあびる人生だったわけではない。

全く意見が採用されない時や、ディズニーでやりたくない仕事をやらされていた

暗黒時代みたいなものも経験している。

それでも努力をして有名なった彼に勇気を貰えるのはそういう

ところなのかもしれない。

 

作品を数センチの距離で観察できるのは興味深かった。

展示のキャプションに一点一点、なんの画材を使用したかが書いてあり

(ペン、インク、鉛筆、水彩など)白黒の絵でも多くの画材を組み合わせて

描いているのが見受けられた。

個人的には絵の描き方は全くの素人なので

画材の組み合わせ方や影のつけ方など、単純に興味が湧いたのだった。

 

唯一心残りだったのは展示の中でティムバートンの若い頃の自作自演の映像を全部

見ることができなかったことだ。

展示に行ったのが休日で人が多くて部屋も狭く、

途中立ち見に疲れて全部見るのを断念してしまった。

ただ、その映像を数分見ても分かるように、彼は常に何かをクリエートしていて、

アメリカ人っぽく何かを皮肉にしてギャグにしながらも遊び心を忘れない

本質の持ち主だった。

だからこそ色んな実験的作品も見て取れた。

そんな中、映画になったナイトメアのキャラクターや継ぎ接ぎの世界観は、

本当に彼が映画に実現したかったお気に入りの描写だったのだろう。

色使い、発想力、世界観といつも魅了されるティムバートン。

展示としては少し物足りなさはあったものの、改めて彼の作品を見ることによって、

今後の作品もより一層楽しみになった。